「真っすぐ生きる」仲間と、多摩地域を愛し、家族を守る家をつくる。株式会社アスティーク 宮谷社長が語る、破天荒キャリアと「笑顔創造」の経営哲学
多摩地域である東京都立川市に根差し、「期待以上の感動満足」をミッションに掲げる株式会社アスティーク。
総合住宅デベロッパーとして、デザイン性と安全性を両立させたこだわりの住宅を提供し続けている優良企業です。
今回は、創業者である宮谷社長に、その波乱万丈な経歴、貫かれている哲学・理念、そして未来の仲間への熱い想いをお話しいただきました。
この記事は、アスティーク社の魅力に触れたい方、そして自らのキャリアに悩むすべての人に読んでいただきたい物語です。
宮谷社長の原体験:初めての就職先でクビ?!行き着いたのは地上げ屋「なんてったって不動産」
宮谷社長のキャリアは、決して順風満帆なものではありませんでした。高校卒業後、就職した自動車ディーラーで、納車中の事故(しかも寄り道中)が原因で解雇されます。
「親も呼ばれてクビになりました。職場を紹介いただいた恩師の先生に土下座して謝りに行きましたね。『腐るなよ!』と言われた言葉が身に沁みました」
その後、コカ・コーラの配送アルバイト時代。友人の兄が乗るポルシェに衝撃を受け、「どんな仕事をしているのか?」を友人から聞き出し、「不動産」という仕事を知ります(当時は何なのか良く分かっていなかったが)。コンビニに飛び込み、求人誌『デューダ』を手に取ると、偶然にも「なんてったって~不動産~♪」という不動産業界のお仕事特集号でした(笑)。
「給料が一番高かった港区の不動産会社に面接に行ったら、強面の迫力ある社長といきなり対面。通された社長室には日本刀が飾ってあって(笑)。あっ!終わったな、、、と思いました。社長に凝視されながら「で、いくらほしいの?」という質問だけされて即採用。そのまま「食事に行こう」と車に乗せられ、伊豆高原の別荘まで連れて行かれました。完全に拉致されたな、、、と人生を諦めた心境でした。目的地は社長が保有する別荘で、そこで不動産の何たるかのお話を聞かされ、入社決定。でも入社したその会社は、ゴリゴリの地上げ屋でした、、、」
バブル期の東京で、良くも悪くも「社会の底辺」と「人間の欲望」を目の当たりにした4年間。
「先輩の歯が浮くような千両役者ぶりに圧倒される経験を経ましたが、そこで『悪』を徹底的に見たからこそ、『善』の素晴らしさが際立って分かるようになりました。あの4年間は、私の財産です」
会社が倒産した後、マンションデベロッパー、不動産仲介を経て、宮谷社長の運命を決定づける人物と出会います。
創業のきっかけは人とのご縁から:ある工務店社長の「覚悟」に惚れた日
仲介業の支店長時代、お客様に紹介した小さな工務店が、建物完成間際に重大なミスを犯してしまいます。宮谷社長が工務店の社長を呼び出すと、彼はこう言いました。
「宮谷さん、好きにしてくれ。私としては、この建物を一度すべて壊し、もう一度建て直す。お客様の仮住まい費用も全部払うし、新しい建物のお金も要らない。それが私のプライドだ」
その工務店は、資金が潤沢な大手ではなく、従業員5人だけの設立したばかりの職人集団の会社です。
会社が潰れかねない、途方もない覚悟。
人として衝撃を受けました。
「普通なら言い訳をして被害を最小限にしようとします。でも、彼は違った。その人柄と覚悟に、私は完全に惚れ込んでしまったんです」
その後、その工務店は急拡大で成長。
「不動産の会社をつくるから、お前に任せたい」と毎月のように口説かれ、宮谷社長は30歳手前で独立を決意します。
「当時お世話になった上司からは、『引っ張ってよかったと思われるように頑張れ』と送り出してくれました。そこから10年、がむしゃらに働きましたね」
その工務店は安定成長を続け、従業員280名、売上300億の企業に育ち、宮谷社長も専務として業容拡大を牽引。同社は2015年に大手ハウスメーカーグループの一角へ。宮谷社長は子会社であった不動産会社を買い取り独立、アスティークのオーナー社長としての一歩を踏み出しました(※現在は2022年に上場企業のヤマエグループホールディングスのグループ会社となり引続き同社の社長として活躍)。
アスティークの哲学:「家族を守る家づくり」と「期待以上の感動づくり」、それが笑顔創造企業への道筋
宮谷社長の経営には、その壮絶なキャリアで培われた確固たる哲学が息づいています。
1. 多摩地域への恩返しと「絶対条件」の追求
「私は立川で育ち、立川に迷惑もかけた。だからこの地域に恩返しがしたい。『多摩は田舎』というイメージをぶち壊す、カッコよくて安全な家を創りたかったんです」
アスティークの家づくりには、「必要条件」と「絶対条件」があります。
- 必要条件: 「こんな雰囲気で」「こんなキッチンがいいな」といったお客様それぞれが求めるスペックやデザイン。
- 絶対条件: 家族が生きるため、家族を守るための「安心・安全」な場。
「『俺が買ったこの家が、地震があっても家族を守ってくれる』。そうお父さんが誇れる家であること。それが我々の絶対条件です。だから、制振装置『MIRAIE(ミライエ)』を標準装備することにこだわっています」
2. リッツ・カールトンに学んだ「感動満足」
アスティークが掲げる「期待以上の感動満足」。そのヒントは、リッツ・カールトンにあると言います。
「300円の牛丼屋で、期待通りの牛丼が出ても『満足』止まり。でも、そこで店員さんが『いつもありがとうございます。お味噌汁もつけましたよね』と一言添えたら、『期待』を超えて『感動』になる」
アスティークでは、事務スタッフがお客様の情報を「お客様カルテ」で共有しています。
「例えば、以前『コーヒーが飲めない』『娘にアレルギーがある』と話したお客様が再訪された時、『○○様、お水でよろしかったですよね』と自然に出せるか。娘さんの誕生月にケーキをお出しできるか。そういう小さな感動の積み重ねを、社員が楽しんでやれる会社でありたいんです」
このための予算は、スタッフに裁量が与えられています。「いちいち上司の承認を得ていたらタイムラグが生まれる。お客様が感動すると思うなら、自信を持ってやりなさい」と。
求めるのは「優秀な人」より「嘘のない人」
宮谷社長が今、アスティークに迎えたいのは、どのような人物なのでしょうか。
「面接で小気味よく答える『優秀そうな人』が、長続きしないことを嫌というほど見てきました。コミュニケーション能力の高い人材を採用したこともありますが、お客様から『軽すぎる』とクレームが入ってしまったことがあって」
不動産、特にデベロッパーの仕事は、人生経験豊富な方々との信頼関係で成り立ちます。
「最近は真逆で、『その質問への答えは用意していませんでした。分かりません』と素直に言える子や、たどたどしくても汗をかきながら一生懸命伝えようとする方を評価しています。そういう『嘘がない素直で誠実な方』の方が、結果的に信頼され、長く活躍してくれています」
社員の「サクセスストーリー」が会社の誇り
アスティークには、学歴や経歴ではなく、「人として」採用され、人生を好転させた社員がいます。
- 大手運送会社から転職したAさん:大学在学中に子供ができ、「家族のために」と運送業で過酷な労働に従事。アスティークに転職後、残業はほぼなくなり、給料は格段にアップ。2人目の子供が生まれ、入社数年で一戸建てを購入しました。
- 地方の工場から転職したBさん:高校卒業後、工員として働いていたが、「東京で挑戦したい」とアスティークへ。未経験からスタートし、入社5年目で主任に昇格。昨年はインセンティブ含め年収1,000万円を超えました。
「いろんな事情を背負ってきた方々が、ここでまず『負』をクリアにして、自分の人生と向き合える環境を作ってあげるのが、我々中小企業の役割だと思っています」
「社員がまず幸せに」。そして「笑顔創造企業」の未来へ
宮谷社長は、社員への想いをこう締めくくります。
「『お客様を幸せに』と謳う会社は多い。でも、社員自身が不幸せで『給料安いな』と思ってるのに、お客様を本気で幸せになんてできるわけがない。まずは従業員が物心ともに豊かになること。自分にゆとりがあるから、お客様にも優しくできる。このループを作りたいんです」
「人生で一番長い時間を過ごす会社が『行きたくないな』と思う場所だったら、不幸じゃないですか。だったら、みんなで楽しい場所にしましょうよ、と。それが昔からの僕の考え方です」
アスティークのビジョンは、不動産業に留まりません。「笑顔創造企業」として、「産声から棺桶まで」、地域の人々を笑顔にする事業なら、社員からの提案で新規事業を立ち上げることも歓迎しています。
「500億の会社を1つ作るより、50億の事業を10個作るほうが面白い。不動産で育った社員が、将来『無農薬のレストランをやりたい』と言ってもいい。アスティークの家で育った子供達が、大人になって『またアスティークの家が欲しい』と言ってくれる、そんな親子二代に愛される会社を目指しています」
破天荒なキャリアを経て、酸いも甘いも知る宮谷社長だからこそ創り上げられた、強くて温かい組織、それがアスティーク。
「欲で這い上がってきた」と笑う社長のもとには、嘘のない素直で誠実な仲間たちが集い、今日も多摩地域に「最愛の家族を守るかっこいい家」と「家族の笑顔」を創造し続けています。
採用のミスマッチ「会社の本質や価値観を伝えきれていない」
現在、アスティーク社は新たな人材を求めていますが、大手求人媒体を使った採用活動には課題を感じていると宮谷社長は語ります。
「会社の本質や価値観を伝えきれていないと感じている」
都心の企業と違い、多摩地域という立地で志の高い人材と出会うためには、給与や勤務地といった条件面だけでは勝負できません。
「結局、採用においても地域に根差して『この多摩地域でずっと働きたい』という方といかに繋がるか。そして、私自身や会社の『人となり』を、どれだけ本気で伝えられるかに尽きると思っています」
宮谷社長は、未来のアスティークを担う採用方針として、地域密着で未来を歩むメンバー集めに舵を切られました。
2022年に上場企業のヤマエグループホールディングスのグループ会社となり財務基盤が盤石となったアスティークが目指すのは更なる事業成長。それは住まいの提供を通じて「笑顔創造」を堅実に広げていくこと。年商100億円への挑戦に向け、新たな歩みを決意されました。
アスティークをもっと知りたい方へ
多摩地域を代表する住宅デベロッパーである株式会社アスティークでは、一緒に働くメンバーを募集しています。
『笑顔創造企業』の一員となることに関心のある方は、是非とも下記求人よりご応募いただけますと幸いです♪
ご職場見学会も実施しております!是非とも「本気」な会社の空気を感じ取って下さいませ!
【編集後記】
インタビュー中、宮谷社長はご自身の失敗談や弱ささえも、包み隠さず「本音」で語ってくださいました。その根底にあるのは、多摩地域への深い愛情と、社員一人ひとりの人生に本気で向き合う「覚悟」です。それは、宮谷社長が人のご縁から出会ってきた素晴らしい出会いの中で、物事に本気で向き合う心を育まれてきた証です。
もしあなたが、今のキャリアに迷いを感じていたり、表面的なスキルではなく「人としての誠実さ」で勝負したいと願っているなら、アスティークという会社は、あなたの人生を賭けるに値する場所かもしれません。
コンセプトメイク株式会社(たまジョブ運営企業)
代表取締役 寺西智彦





